初めまして。DEMIです!
私は今、横浜市内でダンスインストラクターをしています。指導者歴は、大学時代から数えると「5年」で
キッズから大人まで、500名以上の生徒さんを教えてきました。
幅広い年齢層やバックグラウンドを持つ生徒たちとの関わりを通じて、柔軟な指導スタイルが身につきました。
私自身もダンサーとして、ライブのステージでパフォーマンスすることもあります。
飲食〜家具・アパレル〜エンタメまで10種以上の職を経験したなかで、その場で求められる対応をする瞬発力や、気持ちの良い顧客対応について長年模索してきました。
チアリーディングで身につけたチームワークと、コンテンツ発信で身についたWEB作業のスピード感が合わさって、「作業とコミュニケーションの両方がバランスよくできる人」と言われています。
子どもの頃からやりたいことに一直線で、
渋谷の外国人を見ては「英語習いたい!」と言ったり、
大学の図書館で読んだ、ヒッピーの自伝本に影響されてアラスカまで飛んで行ったり、
わからないことがあるとモヤモヤして、答えが見つかるまで調べ物をするような性格でした。
それなのに、人間関係を築くのが大の苦手で、新しい職場に飛び込んではストレスを溜めて一人旅に出る。
そんな生きづらさを抱えていた時、わたしの唯一の心の拠り所は星野源さんや黒柳徹子さんのエッセイを読み漁ることでした。
その表現者の心に触れてストレスから解き放たれるようになりました。
私も「文章」によって誰かが救われるといいなと思い、このブログを書いています。
このブログは、
自己発見と人間のつながりを探求する旅
をテーマにしています。
日常に転がっている楽しみや幸せを見つけ
それを表現することで
誰かの人生のヒントになったら嬉しいです。
目次
「書くこと」のはじまり
小学生のとき、書き初めが好きだったことから「文字を書く」ということが好きでした。母親とは交換日記をしていました。
中学時代からは恋愛日記を書いて、恋愛相談を聞いてもらっていた友達に読んでもらうのが嬉しくてたまらなかった。(ちょっと変わった趣味?)
高校生でカナダにホームステイしたときは、ホストマザーがWEBライターだったので、その姿をみてWEBライターに憧れを抱きました。
夜は地下で洗濯機を回しながら、パソコンをしているホストマザー。「Good Night」と声をかけると「Good Night」と帰ってくる。なんて穏やかな日常なのだろう、と思った。
わたしは自分の部屋に戻ると、間接照明をつけ、ノートを開き、その日覚えた単語や楽しかった出来事を思い出しながら、その1つ1つを丁寧に書き留めて、「今日もいい1日だった」と思いながらベッドに入った。
社会に出て、苦しかった時期も、エッセイに救われました。俳優や女優の書く文章は秀逸で、あのなんでもない日常を面白おかしく書ける表現スキルはやっぱりすごいです。
40歳くらいになったら、お母さんになってエッセイストになれたらいいなと思いながら、激動の20代を過ごしてきました。
昼間は時間ができたら、カフェで文章を書いたり、考えをアウトプットしたりするのが日課です。
そこでは、頭をリフレッシュするために、あえてコーヒーよりもフルーツなどのさっぱりした飲み物を好んで注文し、文章やアイデアの世界に没頭するのが好きです。
この時間があるおかげで、日常がどれだけ穏やかで充実し満たされているか、その幸せを感じることができるし、行き詰まっていることに対して次なるアプローチを見つける手助けとなったりします。私がお届けする情報やアドバイスも、このような環境から生まれるものです。
10代 – 英語学習から学んだ、個性を持つことの大切さ
小中高と、ずっと英語が大好きだったわたしは、将来は英会話スクールに就職して、子どもたちを海外に連れて行くお姉さんになろうと思っていました。
でも大学3年生のチアリーディングの最後の大会前で骨折したことを機に、すべてをやり切るためにチアのお仕事を選んだのですが、どのキャリアを選んでも、英語学習での学びを活かして結局この生き方を選んだだろうと思います。
英語学習を通しては、「いかに英語が堪能か」よりも、「いかにアイデンティティを自覚し、自分の意見をロジカルに伝えられるか」、その中身が大事だと学びました。
いかにアイデンティティを持つか
海外では自己紹介の場面がたくさんやってきます。それも突然に。
カナダでの、夕食のピザパーティーのとき。わたしはメキシコからの留学生Anneさんと、ホストマザー、3歳のホストシスターと4人で食卓を囲んでいた。
どんな暮らしをしてるかとか、写真を見せ合いながら家族構成、お互いのバックグラウンド、などの情報交換が始まる。
Anneさんの両親は離婚していて、複雑な家庭環境で育ったみたいだけど、家族はそれを前向きに受け止めて兄弟もみなバラバラに留学しそれぞれの道を歩んでいるみたいだった。
わたしは自分の家族の紹介をしたけれど、写真を見せて
「This is my mother and father.」
「You look like your father.」「Yeah.」
程度の話しかできなかった。日本ではどんなことをやってて、何が好きで、どんな人間なのか話す時、自分のことをわからなかったら伝えられないと思った。
だからわたしは自分の個性を強めようと思った。自分の個性は何で、どんなバックグラウンドで何を大切に生きている人なのか、世界のどこにいてもちゃんと説明できる人になろうと思った。
いかに自分の意見を持ち、ロジカルに堂々と話すか。
スピーチコンテストでのこと。わたしは「Communicate face to face」というタイトルで7分間の英語スピーチを行いました。
昨今SNSが流行っているけど、コミュニケーションに摩擦や文章による勘違いが起きて友達関係にヒビが入るのはどうなんだろう、と問いかけました。
でも大学のスピーチコンテストって暗記した文章をただ述べるだけじゃなくてQ&Aという魔の時間があるんですよね。そこで他大学からめちゃめちゃ頭のいい先生が来て、審査員をしてくれるんですが、彼らは本質を見抜きます。
「わたしはSNS楽しいし交友関係も広がるからとても有意義に思うんだけど、なんでダメなの?」
わたしはそこで言葉に詰まってしまって、うまく切り返せませんでした。
意見を述べる時、自信とそれを裏付けるだけの行動がなければ、本質を見抜かれる。逆にロジックが通っていれば感情的な意見も歓迎される。これは10年間のスピーチコンテスト経験の中で、一番の学びでした。
この経験から未来のプランなど感情を交えた話でも、「なぜなんだろう?」とよりロジカルに考えるようになりました。
いかに積極性を持つか
正直英語は下手でも、表現力や話す意欲がある人はやっていけると思った。外国は、自分から積極性を持たなければ、まず「興味ないんだ」と思われて相手にされないという、そこらへんが残酷にもはっきりしている。
カナダでの登校初日、登校時間が1時間遅れて「外国気分にならないでください」と怒られたときも、
わたしは「ホストファミリーと私の勘違いで遅れたんだ」と弁明したかったけれど、英語が出てこなかったのと、日本の消極的な姿勢でいたせいで本当に「外国気分の浮かれた人」ということになってしまったのにはいまだに心残りがある。
あの時ちょっと頑張って
「Sorry, but my host mother and I totally misunderstood that it was a 10:00 AM arrival. 」
って言えたらよかったのに。
あちらでは空気に飲まれないこと。発言力。
あっちの子どもはすごいですよ。まーじで勢いある。
オーストラリアの小学校を訪問したときは、5人くらいに囲まれて遊ぼ!と言われる。わたしが遊びのルールを聞き取れなくておどおどしてると「It’s OK!」といってとりあえず遊びに混ぜてくれる神対応。
「What’s your name?」と聞かれ「Hidemi」と教えたら、発音が難しかったのか「What was your name?(名前なんだっけ)」と5分おきに聞いてきて、何度も確認してくれる。結局難しくて「ヘデミ」と呼ばれたけど(ま、いっか笑)
忘れちゃったことはその場ですぐ聞けるそのメンタリティに感動さえおぼえた。わたしは彼女たちに影響されて積極的な性格に育ったのだと思う。
カルチャーショック:ネガティブなことでもハッキリ伝えること
カルチャーショックもあった。
ホームステイの直前、説明会で「嫌いな食べ物は遠慮せずハッキリ伝えましょう」と言われる。
でも例えば日本では「出されたものは文句言わず食べなさい」だったので、お弁当の中身にこれは好みじゃなかった、なんてなかなかハードル高いんですが。でもどうしても口に合わないものがあって、恐る恐る言ってみたんです。
「This is not my favorite.」と。
そしたらなんと。「Oh, OK.」あっさり承諾。翌日からメニューを変えてくれました。ホストマザーの顔を恐る恐る見てみたら、なんとも思ってなさそうな表情で安心しましたね。
「いいの!?」って感じで、これはいい意味でカルチャーショックでした。わたしはこの経験から、「人が遠慮せず、人に遠慮させず、で成り立っている素晴らしい世界だ」と外国文化がより好きになったのと同時に、より自分の気持ちに正直に生きるようになりました。
20代 – チームで動く中で再認識した、人間関係への興味・関心
私は学生時代からずっと風邪をひく原因1位が「ストレス」だった。
断れなくて飲み会に行って、ちょっと無理したらすぐ体調崩すし、それが続くと髪の毛が抜けて円形脱毛症になった。
恥ずかしかったし、こんな人生はつくづく嫌だと思った。
20代は思い残すことなくやりたいことをやろう。その中で、一番興味をもてたものを個性として伸ばそう。
そう思って会社を退職後、フリーランスの旅に出る。
20代という若さを活かして、やれることは何でも挑戦しました。
曲を作って販売したり、舞台照明家に弟子入りして8ヶ月間照明を学ばせてもらったり。やったことない配達の仕事や、ミュージカルにも挑戦しました。
なんだかんだ1人で生きていくと思っていたのに、チームで動く場所ばかりに出向いていた私。それが、チームビルディングや人間関係への興味に変わっていったんです。
というのも、小さい頃から本当に人間関係を作るの苦手だった。
ただ弁解を求めればいいだけなのに、傷つくのが怖くて聞けなかったり。
人が離れていくのが怖くて、先に自分から距離を置こうとしたり。
母親のせっかくの愛情も、愛情って思えたことが少なくて、それを愛情と認識するのに30年かかったのです。
友達みたいな感じじゃなくて、スキンシップや、全てを全肯定してくれる、「お母さんの愛」が欲しかった。でも、お母さん自身は、自分の母親から愛された記憶がない。(早くに亡くしたので)そんな母が、私を寂しくさせないように、懸命に考えて与えてくれた愛情の形が、それだった。
「そばにいてくれない」と勝手に勘違いして一人暮らしをしては実家に戻ってくるの繰り返しでした。(今はようやく落ち着いて、めちゃめちゃいい関係が築けています。)
人とうまくやること・集団行動は苦手だと言いながら、なんやかんや高校大学社会人とずっとチアという、チームに関わる仕事をしてきました。
人はほんとうに難しい生き物だと思う一方で、
自己分析によって「自分という存在」を深く理解したことで、
「デミさんのいいところをいうコンテストとかあったら優勝できる自信がある」とまで言ってもらえるほど、素晴らしい関係性を築くことができ、それから人との関わりが格段に楽しくなりました。
思えば英語スピーチでも、
14歳のときは家族関係について、
大学時代にはSNSコミュニケーションについて話しており、
こんなに昔から、人との関係について興味があったんだなぁって思うと、なんか不思議なんですが、でもこれが私の個性なんだと思います。
ダンス指導者の道を選んだのは、ある意味必然だったのかもしれません。ダンスは「人との関わり方」という深いテーマを与えてくれた仕事でした。これから私が人と話していく上で、話の背景となっていくもの。そのために必要な経験だったんだと思います。
人生で大切にしていること
人生で大切なことは、「死ぬ時に後悔しないこと」だと思います。
私の母は幼い頃に母親を亡くし、誰よりも命の尊さを知っている人です。
子ども時代から母は「好きなことを思い切りやって、後悔なく生きることが大事」という価値観を言葉で、行動で、背中で示してくれました。
自分が辛い思いをした分、娘たちにはかわいそうな思いをさせたくないと、いろんな場所に連れていってくれました。
例えば、海や、山や、お祭り、海外ホームステイなどです。
お金持ちの家庭じゃないので相当苦労させてしまったけれど、本当に好きなことを思う存分やってほしいという思いで、必死に働き、貯金してくれていました。
あえて口にするわけじゃなかったけれど、言葉の節々や、そんな行動の1つ1つに、「後悔せずに生きて」という信念を感じる人です。
3500人を看取ってきたある医者が、患者さんの最期を看取るたびこんな言葉を耳にするらしい。
「もっと家族と旅行に行きたかった」
「もっとチャレンジすればよかった」
と。
「死」を前にすると人は人生を振り返り、自分は良い人生を送ったと納得しようとするのだそうです。
そのことからも、わたしの母が背中で教えてくれたことからも、死ぬ時に後悔しないためには、
✔️ 趣味や旅行など、有意義だと思えることに時間を使うこと。
✔️ 大切だと思える人に心からの愛情を示すこと。
✔️ 自分で挑戦したいことにブレーキをかけないこと。
✔️ 感情を否定しないこと。
こんなことが大事だと思ったのです。
母の教えは、私に人生を後悔しない方法を教えてくれました。彼女の助けにより、私は自分の趣味や興味を追求し、その過程で成長してきました。今、私はその恩返しを文章やダンス、そして教育活動を通じて行っています。
人生は短く、それを有意義に過ごすために、私は日々努力しています。
最後に。
最近になってYouTubeを始めたので、
これから私は台湾人の旦那さんと一緒に
🌏台湾と日本の架け橋になること
🌏世界のどこでも人に恵まれて暮らしていけるようになること
を目指しています。
中国語も英語もどんどん磨いて、大切な人々と大切な時間を積み重ねていきたいです。
英語と中国語(北京語)ができると、
なんと27.2億人の人たちと会話ができるようになります。
世界人口81億人 のうち、
日本語を話す人はたったの1.2億人。
英語話者は15億人
北京語話者は11億人
日本語と合わせると合計27.2億人で、
つまり世界の約4分の1の人たちと言葉を交わすことができるということ。
日本語だけだったら85分の1人です。
世界の広がり方がこんなにも違う。
出会う人の数も、見える景色も、気づける人生の価値も、変わってくるでしょう。
このブログもトップページ画像が飛行機になっています。
空港と太陽には、私のブログコンセプトが両方詰まっている。世界を暖かく、明るく照らしてくれる太陽と、自由を与えてくれる翼がある場所。
だからイメージカラーはカラフルで、何色にも縛られないってことを表しているんです。
テーマソングにするなら、
Jessie JのPrice Tagとかがピッタリな気がします。
“お金がどうとか言ってるんじゃなくて〜
世界を揺るがすように、わたしはただ踊っていたいだけ〜
お金じゃ幸せは買えないでしょ〜?”
っていう歌詞がぴったりでしょ?笑
長々とお読みいただき
ありがとうございました。
今後の投稿もお楽しみに~♪